ポスト精神医学4 hometreatment 居住医療に至る歴史

  • このフォーラムに新しいトピックを立てることはできません
  • このフォーラムではゲスト投稿が禁止されています

投稿ツリー


前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2014/5/6 11:07 | 最終変更
jksadmin  管理人   投稿数: 43
hometreatmentは、Matthias Heißlerハイスラー博士が創りだした精神障害に対する医療の思想と方法である。この新たな造語を居住医療と訳したのは、在宅医療と区別するためである。在宅医療では既存の医療のイメージが強く、異なった意味がイメージされる。hometreatmentの思想をハイスラー博士はPost Psychiatrieポスト精神医学と命名している。Postはラテン語を語源とし、死に因って土になると云う意味から、死後を表し、後にの意である。post modernism ポストモダニズムは脱近代主義と成っているので、脱精神障害と訳せるが、Postポストと云う命名に従っている。
 居住医療とは、ポスト精神医学とはどう云うことか、その事柄を理解するには歴史をたどるのを定石とすると、この思想はハイスラーの師であるKlaus Dörnerクラウス・デルナー博士が濫觴である。日本では現時点でほとんど情報が無いので、ドイツでの情報を翻訳して提供する他無く、医学は専門では無いがその任を担う事としている。当社はソーシャルファームの設立推進を目的としているが、居住医療とは本質的な関連を形成しながら進むと云う認識を持っているからである。
img53684019c6b04.jpgimg53684019ce312.jpgimg53684019ba67e.jpg

 歴史から辿ると云う意味では、今年はタイムリーな年である。2013年11月22日デルナー博士は80歳を迎え、ドイツでは博士の功績を讃える幾多の報道が為され、それらの報道から出発から居住医療に至る道筋を知る事が出来る。歴史の出発を最新の記事から始める。
 記事の原文はCare Investと云う組織のホームページから得たものである。
http://www.careinvest-online.net/Branchennews/Personen/Der-Sozialreformer-Klaus-Doerner-wird-80
デルナー先生の了解を得、ドイツ原文を当社が翻訳したものが以下である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Der Sozialreformer Klaus Dörner wird 80
社会改革者クラウスデルナー80歳となる
22.11.2013  Foto. Archiv
Prof. Dr. Dr. Klaus Dörner
クラウス・デルナー博士は、移動診療の開拓者であり、精神医学改革の先駆者であり、世話が必要とされている障害者に社会への参加を可能にする事を進めている人で、今日80歳を迎えています。彼は市民たる障害者と医療の専門家の連携は未来を拓く鍵となる事を確信して来ました。博士は、数十年にわたって人々を閉ざされた精神障害施設から連れ出し、社会参加出来るようにしています。
img53684019cfcfc.jpg
医師及び精神科医として精神医学の改革を進めるリーダーの自覚を持ち、開拓者として病院の壁の外での精神障害者への差別をなくす事に挑戦したのです。現在でも彼は、精神障害者、障害者、高齢者と介護を必要としている人を排除するのではなく、差別を無くすことを支援しています。
今日2013年11月22日デルナー氏は80歳を迎えています。過去15年間博士はドイツ語圏で、指導、助言、ネットワークづくりを使命として、2000回の支援を行って来ました。まるで宣教師の様です。
”私にふさわしい人生と死、第三の社会環境と新たな支援システム(2007)”と”支援による貧困取組みの百年の結果(2012)” の2冊の近著について、これは支援の報告であり、高齢者と障害者への支援による貧困となる暮らしと扶養の仕組みの選ばれ方を、描いたものとの事です。
博士のビジョンは障害者に対して、劣悪でも、隣近所でも、仲間でも、教区でも、どんな環境でも、一緒に医療の専門家として専門能力を発揮できる事です。
デルナー氏は1933年ディ‐スブルグで生まれました。”父は町医者で産医もしていました、母は医者の妻を本業にしていました。大学進学資格を取ったので、哲学を勉強しようと思っていたら、父のソフトな圧力を感じ医学を学び、1960年医学博士号を取りました。68年の学生運動が始まった時には、ベルリンで若き父として生活していましたが、再び哲学と歴史と医学社会学を学ぶ為に復学しました。二回目の博士学位取得の後、ハンブルグで精神医学の専門医に成りました。北ドイツ精神病院の創設に関わり、その後院長に成りました。最初のチームの編成では患者の家族を治療に関わらせる事にしました。
”医療の専門家として、患者及び家族との交流は精神障害治療に欠かせないものとしました。精神医学への私の最初の貢献と思っています”
1980年デルナー氏は東ベストファーレンに行き、グーテルスローのベストファーレン州立精神病院の院長に就任しました。併せて、彼はヴィッテン/ヘルデッケ人類学大学で精神医学の教授となり、更にドイツ社会精神医学連盟の共同設立者と成っています。当時、精神障害の介護システムを再構築すると云う要請が外部から請われており、”何かをさせる為とか自己中心的な目的ではなく、医療の専門家と当事者と家族が一緒に取組もうと云う連合でした。患者を中心にとの考え方が据えられていました。その事が記憶に残っています”
デルナー博士の仕事は未だ終わってはいません。阻害され見捨てられている慢性の患者の将来の行く末を、尚手掛けています。患者達は未だ、閉鎖的な治療の対象として10年20年50年に亘って施設で暮らしています。
デルナー氏は見せかけの不可能を可能に変えてきました。グーテルスローでは、17年に亘る啓蒙と教育活動で、地域での病院の治療を変え、435人の病院の患者全てが自分たちの住まいで単独か又は共同で暮らす事を実現しました。
”裁判での精神医学の誤りも含めて、全ての誤りは居住しての通院治療で対応する事が出来ました。長期に亘って収容する為の施設は必要が無かったのです”
グテーテルスローモデルが成功したことが、患者にとって”素晴らしい贈り物”である事は現在でも同じです。
功績を讃えられて、毎年3カ月ほど2度目の奥さんとオーストラリアに滞在しています。
オーストラリアでは、地元で鉄道旅行をしながら”読み損ねている文学作品”を読む時間を取り戻しています。
クラウス・デルナー博士の残りの自由な時間は、彼の家族たる文学作品の登場人物達で一杯に成っています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  条件検索へ