ポスト精神医学7 居住医療に至る歴史4「意識改革(1)」

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2014/6/4 10:12 | 最終変更
jksadmin  管理人   投稿数: 43
 グーテルスローでは様々な医療改革の試みが行われている。

img538e700a1ff46.jpg ”Spät kommt ihr...Gütersloher Wege mit Langzeitpatienten来るのが遅いよ...長期入院患者のグーテルスローでの道のり”*1は、その試みを纏めた私家版の書物である。10人の医師を初めとする医療関係者が其々の改革の実践を書いている。タイプで打たれたものをコピーしそのまま編集されている。コピーを斜めに取ったが、そのままに製本され粗末な体裁である。しかし、その粗末な体裁は却って、なりふり構わず取組まれた改革の姿勢を端的に示しており、むしろ凡百の体裁に頼っている書物とは次元の違う威厳を感じさせるものである。”Keine Zeit zum Spinnenどうかしている暇は無かった"*2はデルナー博士の記録である。この記録は患者達の国外への休暇旅行であるが、旅行中どうかしている暇は無かったのである。”どうかしている”とは、精神障害の症状を指している。この旅行は1984年9月に実施されている。10年20年50年に亘る長期入院患者を対象に日常の施設での生活から脱却する為の機会にするためである。きっかけは1980年に着任して以来12人の患者が退院し、居住生活を初めるが、その人たちが、世界が開けしたい事ができる事を実感しており、したい事の筆頭に”マヨルカに行こう”を挙げたからである。マヨルカは地中海にあるスペイン領の島で、長期休暇を保養地マヨルカで過ごすのはドイツ人の憧れなのである。そこで長期入院患者の人間としての楽しみを実現する事と、施設生活からの意識改革を企画したのである。デルナー先生は我々の戦略と謳っている。旅行の目的を果たす為に、行先は外国と準備は自立を条件としている。この条件は、パスポートの取得から始まって、外国語への対応、外貨交換等旅行準備は、手間暇が掛るが自立した判断行動が求められるからである。行先はバス旅行で行ける先を選び、その地の出身で土地勘のある看護師のグンジェビック女史の推薦で、当時ユーゴスラビア現在クロアチアのMakarskaマカルスカと云うアドリア海に面したリゾート地と成った。グ‐テルスローからは1700kmの旅で、行くのには二日がかりである。長期入院患者26名、最年長80歳最年少41歳平均年齢58歳、入院歴10年から50年のグループである、同行者は看護師4名(男性1名女性3名)とデルナー先生である。

コルフ島 ユーゴスラビアで現在クロアチアと云われてもイメージが湧きにくいと思われるので、少々地勢の紹介をする。ヨーロッパの南東部に当たり隣国は海を挟んでイタリアである。アドリア海はイタリアを靴のブーツと見立てるとふくらはぎの部分とスロベニア、クロアチア、セルビア、アルバニア、そしてギリシャに囲まれた所である。穏やかな海と地中海の陽光に恵まれた素晴らしい保養地がたくさんある。そのひとつギリシャのコルフ島での国際会議に参加した事があるが、日の出から日の入りまで様々な光景が楽しめ、更に凪いで透き通った海水での泳ぎは自然の贅沢を満喫できるものである。1984年と云うのはサラエボで2月に冬季オリンピックが開催され、東ドイツが26個のメダルを獲得しダントツトップである。日本の選手では、橋本聖子がスピードスケートで複数の種目に出場し健闘している。5年後ベルリンの壁が破られ、その後東西のドイツが統一され、社会主義国家が次々と崩壊していくのだが、その兆しは、この記録には全く見られない。30年前である。
 出発の準備は大騒ぎで、まるで戦争が始まる様だったと記されている。グーテルスローを出た事が無い、施設入院で様々なサービスが面倒を見てくれる、それが1700キロ先、
必需品、そして持っていくものを自分で用意する、どうしよう!!!
「大変でしたでしょうね、デルナー先生。」
「そう、だけどそれが私の狙いだったんだよ」百戦錬磨の精神科医の自負である。
 そして、1984年9月9日(日)早朝5時ぴったしに休暇旅行が始まった。

*1 Spät kommt ihr... Herausgeber Konstanze Koenning 
   Wohnen-Arbeit-Freizeit e.V.
*2 Klaus Dörner Keine Zeit zum Spinnen 上記69頁-101頁
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